8/15

今日から旅に出た。といっても1度東京には戻るのですが…

 

祖父の家のある新潟の田舎に来た。どうしても夜の親戚の集会に来て欲しいとの事で、新幹線に乗った。

新幹線を使うのめちゃめちゃ久しぶりだったのだが、あれですね、新幹線めっちゃ速いしめっちゃ乗り心地良いですね……小学生並みの感想ですが…ずっと深夜バスの旅を繰り返してきたので泣けてしまった。

 

田舎の小さなお祭りで花火を見て、演歌歌手を見て、色んな親戚にビールをご馳走になった。

小さな幸せが至る所に点在していてとても良かった。

何より、そういう田舎の祭りで屯う中学生達が可愛くて可愛くて……あの子らは田舎にコンプレックスを抱えているのだろうか。まだその手前なのだろうか。地元を愛しているのだろうか。将来何をしようとしているのだろうか…などと考えていた。

あの集団の中のどこかに、昔の自分がいるのだと思うと、「大丈夫だよ」「生きてればそれでいいよ」「いつの間にかお酒を飲める歳になってるよ」と声を掛けてあげたくて仕方なかった。

 

こじんまりとした地域の祭りは、どこそこの息子の誰がどうで、みたいな話ばかりで、彼らがある種狭い世界で生きているのだということを気付かされてしまう。

でもそれは全く悪い意味ではないなと思う訳です。

あそこの家の孫のいちかが20歳になったらしい、との話で何杯も何杯もビールを地域の人がご馳走してくれた。

彼らにとって出店は「商売」でも「儲けもの」でもなく、ただの出店なのだ。家族があって、仕事があって、暮らしがあって。そんな中で、地域でみんなでわいわいとお酒が飲めれば幸せなのだ。

それって凄い素敵だなぁ、と思う。

 

競争社会で数字やらコンプレックスやらと戦って、他人と比べて一喜一憂して、ってものがないのだ。

地元で取れた冷やしトマトとキュウリとスイカを食べながらビールを飲んで、打ち上げ花火を見て(長岡の近くなのでめちゃめちゃレベルの高い花火)、「秋には〇〇があって、冬になると〇〇がある。春のアレは美味い。孫も犬も可愛い。こうして生きてて幸せだ」とおじちゃんは言う。

ポロポロと泣いてしまった。だってそんなの最高だもの…

 

じゃあ田舎で農家になれば幸せなのか、と言われればそれは早計だということも重々に承知してる。

田舎へのコンプレックス、学歴や年収、世間体への執着は捨てきれないし、何より自分は田舎で何かをしていても孤独だと思うから、、、

今自分が田舎に対して持っている感情は、都会から出てきた人間が持つポジティブの感情で、なぜなら自分はこの新潟の町で生まれ育ってなくて、自分が嫌いだった地元の人間や嫌だったもの、場所がないからなのだ。

 

でも、競争社会に生きないで人に優しく手を取り合って生きるという事は何と大切か、という事に気付かされた。偽善だとしてもさ、エゴだとしてもさ、いいじゃない…だって今日楽しくタダで2リットル位ビールを飲ませてもらったのだもの。そんな思いやりに、偽善もエゴもないのではないでしょうか…

人に何かしてあげたいという気持ちをずっとエゴだと叫び続けていたけど、人になにかしてあげたい気持ちは人になにかしてあげたい気持ちだよ、、、、それに理由をつけたりエゴと言ったりするのはナンセンスだ、、、、、

 

人の好意、善意を素直に受け取らなくちゃダメだ。人に純粋に好意や善意を向けられるようにならなくちゃダメだ。

いつまでも自己内でぐちゃぐちゃと考えて自己完結してちゃだめだ、と。自分が恥ずかしいね、、、、いつまでも成長しないし。

 

めちゃめちゃ考えたのですが、今回の旅、決めました。九州四国あたりを青春18切符ヒッチハイクと深夜バスでぐるぐる回ろうと思います。途中でリゾバしたり農家とかに泊めてもらいながら、ちょっと台風後の復興の手伝いもできればいいなと。大したアテはないけれど。

 

意識高い系でも何でもいいです。自分は素直に人の為に動いてみなければならない。

そうすれば何か分かる気がする。何かを得られるきがする。人の温かさに触れたいし、人の温かさを生み出せる人でありたい、、、、、、人を素直に愛することが出来て、愛されることの出来る人間になりたいのだ、、、、めちゃめちゃ言葉にすると恥ずかしいのだけれども、、、、

 

多分バンバン野宿する生活だろうけど、それはそれで楽しそうだし、、、とりあえず行ってきます。

 

日記の更新は絶対続けるつもりなので2日止まったら死んだと思ってください、、、、

(といってこの前は心を病んで更新をやめてしまったのだが、、、今回こそは、、、)

 

くるり / 春風 〈Alternative