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一昨日衝動的に親知らずを抜きました。

2年程前から気になっており、でも特に痛みや歯並びへの問題が無かったので放置していたのですが、ふと歯磨きの際に舌で触ってみたら気になり始めてしまい、そうなると延々と気になる性分でして。近くの歯医者に駆け込んで検診した後、可能な限り早いタイミングで抜歯させて欲しいと頼み込み、その2日後に抜歯という流れ作業でした。こういう行動力の早さはAから始まる名称の自分の基質なのですが、長所として捉えていこうと思います。

生え方があまり良くなかった様で上の歯だったにも関わらず抜歯に20分程掛かりました(ネット上では平均5~10分と書いていた)。メスを入れたり歯を砕いたりと、私が予想していた以上にオペらしいオペを受けました。しかし麻酔注射以外は全く痛みがなく、麻酔が切れてからズキズキとした鈍痛は出たものの今では完全に落ち着いています。腫れも全く出なかった。ビビっていたのでかなり拍子抜けです。インターネットで情報を得ると負の側面ばかり観て集めてしまうのでやはり良くないなと思いました。正直歯を砕く時の「バキバキ、ゴリゴリ」という土木工事現場に居る様な音や骨に直接響く振動はネットに書いてあった通り少しキツかったですが…

私は親知らずが5本生えていた様で、しかも5本目がレントゲンで上手く映らない部分にあったらしく、手術中に「何か1本多く生えてますね!レアですよ!」と言われました。その言葉の後に研修医っぽい人が呼ばれて少し私を見世物にする時間があったので、本当にそれなりの珍しさだった様です。自分にマイノリティーな個性が秘められていたのだと何となく少し嬉しくなりました。小学生の時に抱いていたAB型への憧れが大人になってもまだ残っている感じがして、こうして書くと少し恥ずかしい。まあ直ぐにその歯も抜かれたので今そのマイノリティーな個性はもう無いのですが。

親知らずは持ち帰らせて頂きました。コミュ障で先生の質問に「あっ…はい…」としか答えられなかった結果、持ち帰ることになっただけで、特に信念や用途はありません。処分しようにもどう処分していいか分からないカルシウムの塊が2個ほど家に飾られています。今度海に投げに行こうと思います。

今改めて親知らずを手に取ってみましたが、指の爪ほどの大きな硬い塊が自分の体外に放出されたんだなぁと割としみじみしました。口の奥に何年も詰まっていた塊がスッキリ取れたという気持ち良さ、何年も先送りにしてきたタスクを完遂できた達成感、もっと言えば自分の体内に数十年存在していた「親」と名のつくものを抜き取り決別できた感覚。何とも気持ちが良いのです。残りの3本も早めに抜く事にしました。抜歯フェチかもしれません。

親知らずの抜歯に怯えてる方がこの拙文を見て下さったのであれば、今すぐに歯医者に連絡をし早々に抜いてしまう事をお勧めします^^総括でした。

今は早く美味しいものが食べたいです。抜歯後はしばらく腫れや痛みでご飯を食べられないだろうと思ってゼリー飲料を買い込んでしまい、今現在全く腫れも痛みも無いのにゼリー生活を送っています。ウイダーinゼリーは部活を思い出す味で美味しいですが、カロリーメイトゼリーが如何せん美味しくないのです。前者はプルプルしているが、後者はデロデロしており、商品としての機能は同じなのに食感という1つの基準だけでこんなにも評価が違ってしまうのかと思いました。ピュレという概念が苦手なのかもしれません。私は自分が好き嫌いが殆ど無い人間だと思っていたのでかなり感動的な気付きでした。私が唯一食べられないのがアスパラガスなので、私を殺す料理があるとするならばアスパラガスのピュレになるでしょう。人生でそんな料理に出会わない事を祈ります。

そういえば抜歯の前日、抜歯にネガティブになり過ぎて「美味しいものが食べられなくなる前に美味しいものを食べよう」と思い立ち、高校からの友人と池袋で中華料理を食べました。元々友人と「中村光の世界展」に行く約束をしていたのでその延長線上での食事でした。思えば高校一年生の春からずっと連んでいる友人で、私は小中学生の時の友人と全く連絡を取っていないので1番古い7年来の付き合いになります。その友人との最初の会話の話題が「荒川アンダーザブリッジ」だったので、こうして中村光の世界展に友人と来れたのは感慨深いものがありました。友人も田舎コンプレックスを抱えて、田舎から県庁所在地の進学校に態々きて、また田舎コンプレックスから東京の大学に来た様な人間ですので、「こうして雲野と連絡取って気軽に中村光の世界展に来れる世界線ってかなり良い世界線だと思わない?」と言っていました。本当にその通りだと思いました。大人になり、自由を得たのだと…

中華料理屋で気になった料理を数品頼み、大皿を続きながら酒を飲むというこれまた大人らしい食事をしました。これを大人らしいという時点でまだまだガキなのだと思いますが、田島列島先生の「水は海に向かって流れる」にそういう描写があり、私はどうしてもこれがやりたかったのです。

友人とはいつも他愛無い話で盛り上がって終わっており、今回も他愛のない話(高校の同級生の悪口、就職後の不安、友人が描いている福本伸行作品のBL同人誌の話など←こうして文字にすると全然他愛無い話ではない)を沢山したのですが、それとは別にかなり真面目というか、要は後輩との件についてストレートに私の良くない所を沢山言ってくれました。自分を知られるのが怖い等とずっと言っているがそもそもお前のいう化けの皮がどれだけいい物だと思っているんだとか、申し訳ないばかり言っているが具体的にどう迷惑をかけているんだとか、相手が連絡や遊びに応じてくれている時点で嫌われてる事を必要以上に考える必要はないだろうとか、世の人間がエゴと性欲で生きている中でそうやって相手の気持ちを考えてるだけ充分偉いんだからもう少しエゴに生きて良いとか。グゥ…ぐうの音も出ない。出ましたが。高校の時に全く同じような事、つまりは相手が好意を抱いてくれていてこちらがそれを受けて好意を持ったにも関わらず勝手に自己嫌悪に陥り逃げ続けた事があり、その時の事を初めてハッキリと「あの子が可哀想だったし迷惑を掛けていた、あの時のお前は情けなかった」とも言ってくれました。自分の事を7年間見てくれて仲良くしてくれた友人だからこそ言える事だし、その友人しか言ってくれない事だと思いました。お陰でかなりスッキリした気がします。義務感や罪悪感ではなく、勝手に自己完結せず、自分が相手に対してやりたい事をちゃんとやる事が相手と自分に向き合う事だと思ったので、そうすることにします。今日誘っていいものか悩み続けたライブに誘う事が出来、向こうが是非と言ってくれたのでチケットを応募しました。当たる事を願います。

 

Cody・Lee(李) / 悶々