7/17

誕生日でした。彼女とお台場でパンケーキを食べた後海沿いを散歩し、品川のアクアパークという水族館に行きました。お付き合いさせて頂いてからの初デートになります。17日に水族館行きませんか?と自然な連絡をくれて、誕生日を憶えていてくれた事、自分の誕生日に相手が予定を入れてくれた事、等々諸々が嬉しく、久しぶりに誕生日という概念を心から肯定できた気がしました。私はマイナス思考が多く、20歳からの誕生日は「老い」にしか感じられなかったので…

お台場の海沿いの公園が粗方オリンピックで立ち入り禁止になっていて、初めてしっかりオリンピック反対!と思いました。こんなご時世でオリンピックをやるなんて、みたいな気持ちはありつつも、IOC(というかアメリカを初めとした大国)に逆らえない日本の立場や、日本が抱えた大きな借金、東京オリンピックを目指していたアスリート達の事を考えると偏に「オリンピック断固反対!デモを起こす!」みたいな集団も正義では無いな〜と思っていたので、答えのない問題に対して国のトップがやると決断したのなら我々はその中で出来ることをやるしかないな、という中立寄りな立場を取っていたのですが。まあこれに関してはもっと思う事がありますが政治思想の話になるので止めておきます。

まあでもあんな溝の臭いがする茶色い海でトライアスロンをするのは如何なものなのか…養殖の牡蠣を使って水質改善、みたいなニュースを数年前に見た気がしますが、相変わらず嫌な臭いがしていましたし、太平洋沿いの道を散歩した時に堤防の下を見たらヘドロが浮いていました。

彼女は海が好きなので沢山連れて行ってあげたいのですが、少なくとも東京の海は違うかな、と思いました。お台場の海は割と好きで何度か散歩した事もあるのですが、今まで対して水質や臭いを気にした事がなかったので、そういう所まで知覚が回るようになったんだな〜と歩きながら感じました。これは自分の心に余裕が出来て、その余裕を自分の思考の外にある様々な周りの刺激を感じる事に使っているという証拠で、それはきっと素敵な事なんだなと思います。

 

パンケーキ、初めて食べましたがクリームが多過ぎて笑ってしまいました。最近油物を多く取れなくなってきている気がしていて、この許容量はこれからも年々少なくなって行くのだと思います。夏の暑さでアイスクリームみたく溶けていく山盛りのトッピングvs22歳の胃、ギリギリ勝利…という感じでしたので、もう今後は無理かもしれません。しんどさはありましたが、2人で苦しみながら食べる様もまた楽しく、特にも誕生日にケーキを冠する物を食べられたという事があまりにも幸せで、これでよかったと思いました。来年も食べられる様に健康的な肉体を作っていかねば…

 

祖父祖母達と沖縄旅行に行った以来、3年振りに水族館に行ったのですが、自分の今の水族館はこんなにも進化しているのか…と感嘆しました。全てがキラキラしていて幻想的で、動物達が愛おしくて、難しい事を考えず只々幸福を味わえました。細かく書くとキリがないので…アシカのあざとい可愛さを世界に広めたい。

アクアパーク品川にはメリーゴーランドやブランコのように縦揺れする船の乗り物(その概念を知らなかったのでそうとしか言えない)まであって、東京は何でもありかよ…と思わず口に出してしまいました。そのブランコ的なものに乗り、流れで人生で初めて手を繋ぎました。初デートでようやく、何か乗り物に乗ることで初めて手を繋ぐの、女々しくて情けないなぁと思いつつ、やはり幸せだなぁと思いました。これこそが、自分の思う最大限の身の丈にあった幸福なのです。

お付き合いして初めてのデートな訳ですが、

 

7/6

度々記載した後輩の方とお付き合いをさせて頂く事になりました。人生で初めて告白というものをしました。自分は本当に面倒臭い性格なので、恋とは何か、愛とは何か、今彼女(her)と居る時の居心地の良さは友情なのか愛情なのか、相手はどうしたいのか、ずっと考え続けてしまっていたのですが、そもそもお付き合いをした事の無い私にとって分かるはずもなく、それに気づけた時点で正答は無いと分かったので、だったら「この人と一緒に色んな所に行きたい」「自分以外の異性と笑っている姿を見たくない」という自分のエゴに従ってしまおうと決意しました。後者は酷いエゴだと思います。それでも、もっと汚い他者のエゴで苦しむくらいなら自分のエゴで幸せにしてあげたいと思っていて、それが自分の愛情の形なのだと感じたのです。優しい故に自分のエゴを出せずブラックなアルバイトでさえ「私が辞めたら上司が困るから」という理由で続けてしまう彼女を見ていると、幸せになって欲しいと感じてしまうのです…とても恥ずかしいですが…

台湾祭という東京タワー下のお祭りで美味しいものを沢山食べたのですが、何一つ味を覚えて居ません。自分がどうしたいのか、相手は今何を考えているのか、そんな事ばかりに脳のリソースを使っていたからだと思います。救世主は台湾ビールだったかもしれません。酔って少し大脳新皮質が麻痺した時に、「今お前はこんなに幸せな状況に居るのに楽しめないのはお前にも彼女にも失礼だろう」と本能が語りかけてきたのです。本当にそんな気がした。そんな事を考えながら東京タワーに昇ったらライトで照らされたレインボーブリッジが虹に見えて、ああとても幸せだなぁと思えました。私が小学校低学年の頃に家族で東京に来た時、私は東京タワーに登りたかったのですが、混んでいて待ちたくないという理由で父親に六本木ヒルズの展望台に変えられた事があり、何となくそれがフラッシュバックして、運命とはこういう事なのかもしれないなぁと感じました。自分が自分として自由を勝ち得ている現状で、素直に、新鮮に幸福を感じられるのは彼女のお陰なのだと…

その時自分が何を言って、何と言われたかは野暮なので書きませんが、東京タワーで告白をし、相手も応えてくれたので、冒頭の文に至ります。

 

現時点で実感は正直全くなく、無さすぎて帰り際は不安になってしまいました。約22年間も恋人という概念を知らずに生きてきたので当たり前なのかもしれません。先程親友の数人に報告をして、今の心境を話して、何ならその中の1人と3時間位人生についての電話をして、ようやく今少しずつ実感が湧いてきた所です。電話をした友人はちょっと涙してくれて、自分も少し涙してしまいました。自分は本当に良い人達に恵まれたなぁと思います。自分に恋人が出来た、と言うだけで自分の葛藤、乗り越えた過去の事と未来の事、全てを察知した様なメッセージをくれるので…

 

慣れない事ばかりで大変ではありますが、間違いなく今の自分はこれまでの人生で1番幸せだと感じます。この幸せをずっと噛み締められるよう、相手にもそれを感じて貰えるよう、ゆっくりと答えを見つけていきたいなと思いました。

6/29

4月初週以来、約3ヶ月ぶりに大学に行きました。外はジメジメとして暑いし、大学生が沢山居るし、どんよりと重い気分になりました。3時間程であったのにも関わらず凄い疲労感があり、この1年で人混みや対人コミュニケーションがもの凄く苦手になってしまったなぁと感じます。しかし我ながら、今日も大学での私は誰とでも仲が良く明るい、そつなく無害な人間でした。廊下で会う知人に片っ端から「いえーい✨久しぶり〜元気〜?😊」みたいな事を反射的に言えましたし、ゼミ長が代表して何か皆に挨拶をしてと突然振られた時も「久しぶりの登校で面倒臭いなぁと思いつつも来てみたらゼミの皆と話せて楽しい」みたいな、本心では全く思っていないけど教授が求めている回答を自分を卑下したジョークを交えて2.3分程スラッと言えて皆も笑ってくれました。自分はどんなに人と話す機会が無くなっても本質的にいい子ヅラするのが上手なんだなぁと感じました。自慢とかではなく、間違いなく自分が今感じているかつて無い疲労感はこれらを頑張った事が原因ですので、向いてない事をしているのだなぁと実感したことを記しておきたいのです。

大学生活もあと半年程になってしまった訳ですが、あまり得たものを実感出来ていません。元々自分が大学に何を求めていたのかさえ明確でなかったので自業自得でしょうか。社会に出るまでの4年間分の執行猶予と、怠惰と、学位と、ほんの少しの専門的知識。片っ端から機関にお金を給付してもらい、貸与もし、沢山バイトをして、それでいて得たものがその程度かぁと感じてしまいました。今日久しぶりに大学に行き、やっと自分が大学生である事を思い出した程には大学生活への充実度が低いのです。思えば大学4年のうち2年間しか登校出来なかったので当たり前かもしれません。コロナ禍での大学生活はハズレくじだなぁと感じますが、それは全ての人が思っていることなので受け入れるしかないのでしょう。望んで大学に行き、望んだ授業を受け、自分の持つモチベーションの中で出来ることはそれなりにやったつもりなのでそれだけで充分恵まれていて、不満を感じるのは自分が世の中に対して期待し過ぎているだけなのだと思いますし。薄っぺらい日々が続き、全てへのモチベーションが低下してしまっている今そういう事を思えてるだけ充分だと感じますし、少しづつでも学生だからこそ出来る有意義な何かをしていきたいですね。何かってなんでしょうね。そこから考えます。

日記を書いていたのは割と有意義だったと思います。この前の日記で日記を書いて3年目に入りました。最近日記を読み返しているのですが、2年前に書いていたことがあまりにも恥ずかしく読む度に死にたくなってしまいます。しかしそれ故に今の自分が精神的に成長している事に気づけたり、自分がしっかり一日一日を生きている事に気づけたりと、日記からは意外と得るものがあるのです。私は一昨日のことすらはっきり思い出せないほど呆然と日々を過ごしているのですが、日記を読み返すとその日の事を割と鮮明に思い出せるので不思議です。逆に言えば日記の無い日が死んでしまっているような感覚もあります。自分が日記を書かない時期は、特に書くことが無いからという理由もありますがそれ以上に純粋な怠惰によるサボりですので、その怠惰の気持ちでその日の気持ちを無碍にするのは良くないなと思いました。大体自分の日常に大きなイベントなんてほとんどなくて、その中で思った事を書くだけなので。

そもそも自分は物事に対して必要以上に「意義」というものを考えすぎなのかも知れません。日記を読み返して、意義という言葉を使い過ぎているなと感じました。そんな真面目な人間でもないのに、こいつは何様なんだと過去の自分を見て思ったのですが、今日とてどこかで有意義がどうのこうの申していた気がします。猫カフェに行って猫が可愛かったとか、中華料理屋で食べた卵の炒めものが美味しかったとか、もっとこう脊髄反射で自分の楽しかった事を楽しいと感じていきたいのです。好きな物、嫌いな物、挙げ句は自分の一挙一動まで、それに対する考えや感情を理詰めにして言葉で表そうとするのは私の悪癖なんだと思います。私の日記、インスタ、Twitter、全部そんな感じで物事を書いている気がする。そんなにロジカルに表現出来るほどの知能も才能もないのに。意義はないけれども、ただ単純に自分が良いと思っていることは世の中に沢山あるので、それを理由なく「良い!」と感じられる人間になろうと思いました。例えば今日なら、小雨が降っていたのですが大学からの帰宅中は傘を差さなくていい程度に降り止んでくれて、丁度いい気温とぺトリコールを肌で感じながら帰れた事とか。いつもなら自分は何故ぺトリコールが好きなのかとか、気温を肌で感じるという事とかについて考えたかもしれませんが、こうして考えることを客観視するとリソースの無駄でしかないですね。単純に好きなものが好きです。

 

ピーナッツくん / Drippin' life

6/28

朝一で歯医者に行き親知らずの抜歯痕に消毒をしました。家に帰って仮眠を取ったら4時間程寝ており、完全に昼夜が逆転してしまいました。明日は久しぶりの登校日なのに起きれる気がしません。何とも大学生とは怠惰な生き物であるか….少しずつ生活リズムを取り戻したいですね。

傘を差すか差さないか程度の小雨の中を歩いて近くのスーパーに夕飯を買いに行ったら七夕の短冊があり夏を感じました。夏は暑いし日焼けするのであまり好きではないのですが、近頃があまりにもジメジメとしていて、気圧の変化に弱い自分としては一刻も早く梅雨が過ぎ去って欲しいなと思います。その大義名分があれば夏だって受け入れられるでしょう。

七夕の短冊は近くの小学生が書いた物の様で、その中でも3年1組のるい君が「ユーチューバーになりたい」と書いた短冊が買い物の時に目に留まったのですが、それが今も頭から離れません。ジェネレーションギャップといえばいいのか、若さへの羨望・嫉妬といえばいいのか、とにかく面を食らいました。言葉にするのは難しいのですが、るい君は(何回も名前を出して晒しあげてごめんね)本気で多分ユーチューバーになろうとしているのです。その事実が、私が10歳の時にYouTuberなんて職業はなかったなぁであったり、るい君が見ているユーチューバー像と私の見ているYouTuber像は全く異なるんだろうなぁだったり、無知で自分に無敵感があって未来に希望がある感じって若さの特権なんだなぁだったり、ユーチューバーになりたいという気持ちを公言できるのって素敵だなぁだったり、色々な気持ちを逡巡させてくれました。自分は小学生の頃本当は漫画家かアーティスト(BUMP OF CHICKEN)になりたかったのですが、親、先生、同級生、全てにそれを言うのがどうしても恥ずかしく、小学生ながら諦めの気持ちもあったのでそれを何かしらの言葉にすることは一度も出来ませんでした。将来の夢を書かされるタイミングが本当に嫌で、実家の家業を継ぐと書くべきなのかもしれないけど絶対に地元からは離れたい、かといって社会的に推奨される職業の中に興味のあるものはひとつも無い、そんな中で漠然とした「優しい人になりたい」「幸せな人になりたい」といった事を書いて誤魔化したり、「お金持ちになりたい」と書いて茶化したり、そんな感じで将来の事を先送りにし続けていたと記憶しています。嫌なガキ。中学からは度々ここでも書いてある通り父親の方針で成りたくもない医者を目指させられていた訳なので、ちゃんと自分でカウンセラーという目標を持てたのは18歳位かもしれません。まあこうして書いていると、そんな自分が目標を持てただけ幸福で恵まれていると思わされます。せめてその目標位は達成できる様に頑張りたいですね。

七夕を感じると、おやすみプンプンがどうしても浮かんでしまいます。私は過去に自分の好きだったものが恥ずかしくなってしまう悪癖があり、故におやすみプンプンの話ばかりしていた10代の頃の私はクソサブカル野郎で恥ずかしいなぁと思ってしまい、浅野いにお作品から近頃遠ざかってしまっていたのですが、それでもやはりおやすみプンプンは特別なのです。プンプンがこの世に生きているのであれば、7月7日はプンプンが一生離れられない愛子ちゃんの呪いに、唯一正当に向き合える日だと思うのです。だから浅野いにお先生は毎年毎年律儀に七夕に愛子ちゃんのイラストを描いてくれるのだと勝手に感じています。将来の夢を書かされる事が苦痛で仕方がなかった私にとって、中学生までの七夕は「給食に短冊ゼリーが出る日」でしかなく、高校、大学では「つまらない陽キャが身内ノリの大喜利を校門前の短冊に書いて笑っている日」でしかなかったので、それが「愛子ちゃんのイラストを見れる日」になっただけ幸せなのだと思いました。今後七夕に素敵な事があり、私にとっての七夕に付随価値がどんどん生まれていくといいな…

6/26

一昨日衝動的に親知らずを抜きました。

2年程前から気になっており、でも特に痛みや歯並びへの問題が無かったので放置していたのですが、ふと歯磨きの際に舌で触ってみたら気になり始めてしまい、そうなると延々と気になる性分でして。近くの歯医者に駆け込んで検診した後、可能な限り早いタイミングで抜歯させて欲しいと頼み込み、その2日後に抜歯という流れ作業でした。こういう行動力の早さはAから始まる名称の自分の基質なのですが、長所として捉えていこうと思います。

生え方があまり良くなかった様で上の歯だったにも関わらず抜歯に20分程掛かりました(ネット上では平均5~10分と書いていた)。メスを入れたり歯を砕いたりと、私が予想していた以上にオペらしいオペを受けました。しかし麻酔注射以外は全く痛みがなく、麻酔が切れてからズキズキとした鈍痛は出たものの今では完全に落ち着いています。腫れも全く出なかった。ビビっていたのでかなり拍子抜けです。インターネットで情報を得ると負の側面ばかり観て集めてしまうのでやはり良くないなと思いました。正直歯を砕く時の「バキバキ、ゴリゴリ」という土木工事現場に居る様な音や骨に直接響く振動はネットに書いてあった通り少しキツかったですが…

私は親知らずが5本生えていた様で、しかも5本目がレントゲンで上手く映らない部分にあったらしく、手術中に「何か1本多く生えてますね!レアですよ!」と言われました。その言葉の後に研修医っぽい人が呼ばれて少し私を見世物にする時間があったので、本当にそれなりの珍しさだった様です。自分にマイノリティーな個性が秘められていたのだと何となく少し嬉しくなりました。小学生の時に抱いていたAB型への憧れが大人になってもまだ残っている感じがして、こうして書くと少し恥ずかしい。まあ直ぐにその歯も抜かれたので今そのマイノリティーな個性はもう無いのですが。

親知らずは持ち帰らせて頂きました。コミュ障で先生の質問に「あっ…はい…」としか答えられなかった結果、持ち帰ることになっただけで、特に信念や用途はありません。処分しようにもどう処分していいか分からないカルシウムの塊が2個ほど家に飾られています。今度海に投げに行こうと思います。

今改めて親知らずを手に取ってみましたが、指の爪ほどの大きな硬い塊が自分の体外に放出されたんだなぁと割としみじみしました。口の奥に何年も詰まっていた塊がスッキリ取れたという気持ち良さ、何年も先送りにしてきたタスクを完遂できた達成感、もっと言えば自分の体内に数十年存在していた「親」と名のつくものを抜き取り決別できた感覚。何とも気持ちが良いのです。残りの3本も早めに抜く事にしました。抜歯フェチかもしれません。

親知らずの抜歯に怯えてる方がこの拙文を見て下さったのであれば、今すぐに歯医者に連絡をし早々に抜いてしまう事をお勧めします^^総括でした。

今は早く美味しいものが食べたいです。抜歯後はしばらく腫れや痛みでご飯を食べられないだろうと思ってゼリー飲料を買い込んでしまい、今現在全く腫れも痛みも無いのにゼリー生活を送っています。ウイダーinゼリーは部活を思い出す味で美味しいですが、カロリーメイトゼリーが如何せん美味しくないのです。前者はプルプルしているが、後者はデロデロしており、商品としての機能は同じなのに食感という1つの基準だけでこんなにも評価が違ってしまうのかと思いました。ピュレという概念が苦手なのかもしれません。私は自分が好き嫌いが殆ど無い人間だと思っていたのでかなり感動的な気付きでした。私が唯一食べられないのがアスパラガスなので、私を殺す料理があるとするならばアスパラガスのピュレになるでしょう。人生でそんな料理に出会わない事を祈ります。

そういえば抜歯の前日、抜歯にネガティブになり過ぎて「美味しいものが食べられなくなる前に美味しいものを食べよう」と思い立ち、高校からの友人と池袋で中華料理を食べました。元々友人と「中村光の世界展」に行く約束をしていたのでその延長線上での食事でした。思えば高校一年生の春からずっと連んでいる友人で、私は小中学生の時の友人と全く連絡を取っていないので1番古い7年来の付き合いになります。その友人との最初の会話の話題が「荒川アンダーザブリッジ」だったので、こうして中村光の世界展に友人と来れたのは感慨深いものがありました。友人も田舎コンプレックスを抱えて、田舎から県庁所在地の進学校に態々きて、また田舎コンプレックスから東京の大学に来た様な人間ですので、「こうして雲野と連絡取って気軽に中村光の世界展に来れる世界線ってかなり良い世界線だと思わない?」と言っていました。本当にその通りだと思いました。大人になり、自由を得たのだと…

中華料理屋で気になった料理を数品頼み、大皿を続きながら酒を飲むというこれまた大人らしい食事をしました。これを大人らしいという時点でまだまだガキなのだと思いますが、田島列島先生の「水は海に向かって流れる」にそういう描写があり、私はどうしてもこれがやりたかったのです。

友人とはいつも他愛無い話で盛り上がって終わっており、今回も他愛のない話(高校の同級生の悪口、就職後の不安、友人が描いている福本伸行作品のBL同人誌の話など←こうして文字にすると全然他愛無い話ではない)を沢山したのですが、それとは別にかなり真面目というか、要は後輩との件についてストレートに私の良くない所を沢山言ってくれました。自分を知られるのが怖い等とずっと言っているがそもそもお前のいう化けの皮がどれだけいい物だと思っているんだとか、申し訳ないばかり言っているが具体的にどう迷惑をかけているんだとか、相手が連絡や遊びに応じてくれている時点で嫌われてる事を必要以上に考える必要はないだろうとか、世の人間がエゴと性欲で生きている中でそうやって相手の気持ちを考えてるだけ充分偉いんだからもう少しエゴに生きて良いとか。グゥ…ぐうの音も出ない。出ましたが。高校の時に全く同じような事、つまりは相手が好意を抱いてくれていてこちらがそれを受けて好意を持ったにも関わらず勝手に自己嫌悪に陥り逃げ続けた事があり、その時の事を初めてハッキリと「あの子が可哀想だったし迷惑を掛けていた、あの時のお前は情けなかった」とも言ってくれました。自分の事を7年間見てくれて仲良くしてくれた友人だからこそ言える事だし、その友人しか言ってくれない事だと思いました。お陰でかなりスッキリした気がします。義務感や罪悪感ではなく、勝手に自己完結せず、自分が相手に対してやりたい事をちゃんとやる事が相手と自分に向き合う事だと思ったので、そうすることにします。今日誘っていいものか悩み続けたライブに誘う事が出来、向こうが是非と言ってくれたのでチケットを応募しました。当たる事を願います。

 

Cody・Lee(李) / 悶々

6/22

最近料理にハマっています。受験の前までは多忙で心にも余裕がなく、1日一食Uber eats、外に出る元気があれば半額のお弁当を買って1日一食食べるという堕落した生活だったのですが、口内炎が出来てしまったり、精神的に寂しい気持ちが強まってしまったり等デメリットが大きいのでここ1ヶ月自炊をする様にしました。今まで主なメニューはパスタ、炒飯、カレー等、一品で済むものが多かったのですが今日は大根と鯖の煮付けを作りました。自分の中に欠落した「一汁三菜」という良い家庭の典型例のようなご飯を求めているのかもしれません。

煮付けはかなり良い出来映えになりました。f:id:GNyabeyabe:20210622002756j:image

写真の撮り方が微妙ですが…ショウガとネギをふんだんに入れ、酒みりん砂糖醤油で味を整えました。深みが足りないな〜と感じていましたが最後にほんだしを突っ込んだら理想の味になりました。

理想の味、は母親が作ってくれていた味なんだと思います。高校入学時に家を出て以来年に1.2度しか母親の料理を食べて来ず、大学に入ってからは片手で数える程しか母親の料理を食べてこなかったのですが、今回の煮付けに懐かしさや安心感を覚え、未だに何となく母親の味というのは残っているのだなぁと感慨深くなりました。何より今回作った煮付けは鯖の小骨が多くて、今まで自分が食べてきた鯖の煮付けはそういったことが無かったので、母親は見ない所で食べやすいような下処理を念入りにしてくれていたんだなぁと気付き少し泣きそうになりました。

家の近くのすき家では毎回絶対にさば朝食を頼む位には鯖が好きなのですが、これまで自分で調理して鯖を食べるという事を怠ってきたので今日から鯖料理を色々作ってみたいと思います。記念すべき鯖記念日です。

何となく、本当に特別な理由も無く「鯖が美味しくて感動したなぁ」という理由で日記を書き出し、そこで留めておくつもりだったのですが筆が乗ってきた(デジタル社会においてこの言い回しは死語ですが)ので、今の事もだらだらと書こうと思います。

5月下旬に前回の日記に書いた後輩との焼肉を達成することが出来ました。折角1年以上待ったのだし少し高い所で焼肉を食べよう、という話を持ち掛け、少し高い焼肉を食べました。後輩にケチられてると思われたくないという気持ちと、気を遣わせたくないという気持ち(後輩が気を遣いすぎる性格なので)がせめぎ合った結果、相手に内緒で5000円弱のコースを予約しました。向こう側が積極的に話さない性格である事、会ってゆっくり話す機会が3年振りという事、そこにちょっと格式の高い店内の雰囲気が相まってお互いに緊張した感じになってしまい、お店選びに少し後悔しました。前々から「焼肉を食べたい」「折角なので普段行かない場所に行きたい」とお互いに言っていたので今回焼肉に行くのは必然の流れだった訳ですが、それでも久しぶりの人間と会う時には少しラフな場所が良いのだなと人生の学びを得ました。あと、少し高級な店はチャージとサービス料というものがあるらしく、ソフトドリンクも頼んだので結果としてお会計が14000円位になっていました。トイレに行く振りをしてスマートに支払いを済ませようと思っていたのですが、1万円札で収まると思っていたので少し戸惑い、料金の内訳の説明をされたりカード払いの手続きが上手く行かなかったりと5分以上会計前で立ち往生してしまい全然スマートにはなれませんでした。後輩にめちゃめちゃうんこが長い人だと思われたと思います。お店の会計に関する情報は事前に準備し、ご馳走する時は多めにお金を持っていくようにしようと決めました。こうして人は学び成長していくのだと思いました。焼肉は本当に美味しかったです。烏龍茶が瓶で出てきたり、焼肉を食べてたら突然寿司が出てきたり、最後の1枚の肉を焼いた瞬間に次の肉をウェイターさんが持ってきたりと、未知との体験に逐一戸惑い面白がる感じもとても良かったです。緊張したとはいえ色々と後輩と話すことも出来たし、お金以上の価値があったことを書き留めておきます。

後輩と漫画の貸し借りをしたので定期的に会うことになり、先日猫カフェに行きました。

本当は東京タワーでやっている台湾祭に行きつつ東京タワーに昇るような話をしており、夜の東京タワーというのはデート色が強過ぎてそういった経験が浅い私にとってはかなり緊張したものだったのですが、当日雨だったので向こうが猫カフェを提案してくれました。自分が猫カフェに行きたいと1年間位ずっとSNSで呟いていたからだと思います。吉祥寺のてまりのおしろという猫カフェに行きました。f:id:GNyabeyabe:20210622013554j:image

ごはんタイムの写真なのですが、この画面一杯の多幸感凄くないですか?天国があるならこの様な場所なのだと思いました。おしろを謳うだけあってジブリの様なファンシーな城の外観で、内装も至る所に魚や肉球をモチーフにしたアクセサリーやライトが施されていて本当に良い場所でした。15時に会って19時位までそこに居て猫を撫でてしまいました。一生居れる。猫は世界を救う…気楽な癒し空間だったので前回よりもラフに後輩と話をすることができ、とても楽しい時間を過ごせました。

ここまである種惚気話の様なものを赤裸々に書いたのは今の精神状況に問題があり、そこが今の私の苦難、論点だからです。私はここまで異性として人間関係を良好に築けた事が無かったので、自分がこの先どうすればいいのかが分からなくなり、他人と関わるのが本当に怖くなってしまいました。後輩は私を先輩という存在のみとして遊んでくれているに過ぎないのだとか、向こうは自分と会って話してみたら想像と違って幻滅しているとか、漫画を貸し借りした以上無理して会ってくれているのだとか、そういう考えばかり浮かんできて、その内に全ての他人との関係性を疑い怖くなってきてしまったのです。

1年程時折連絡を取り合い、デート紛いの事(少なくとも自分はそう思っている)をし、次会うときは恐らく東京タワーで、ゆっくり話す機会としては3回目で、漫画の最終巻を渡す日になります。今後漫画の貸し借りという理由を付けてどこかに行く機会は無くなるのです。出来すぎている位のシチュエーションが揃ってしまっているように勝手に感じています。しかし私には異性とお付き合いする意義や恋人という関係値が如何なものか、自分の中で整理が全く出来ないのです。いや、格好付けて婉曲に言わなければ単に自分に自信がなく、自分を知られること、嫌われることが怖いだけなのですが…

これまでの人生で三度ほど相手側から好意を伝えられる経験をしたのですが、自分は相手が嫌いではないのにも関わらずそういった場所から逃げ続けてきました。全て「自分を知られるのが怖い」「付き合った先の未来が何なのか分からない」といったことが理由です。しかし、このままでは一生涯他人に異性として見られ幻滅される事に怯え、誰にも心を許さず、家族も出来ず、愛されず、孤独に死ぬ事になる気がしており、それは本当に恐ろしい事に感じます。21歳にもなって何を言っているんだ?という感じですが…

後輩は今まで出会った異性の中で1番と言える程性格も趣味も良く、会って話している間も楽しく、自分はとても好意を持っています。今はどうかはさておき、向こうも自分が好きな漫画を読んで感想をくれたり、時に心配してくれたり、○○に行ってみたいですと言ってくれたりと、ある程度の好意を持ってくれている様でした。自分にとって今後これ以上ない機会なのではないかと感じてしまいます。まあこれはこれで21歳のガキが何を言っているんだ、という話なのでしょうが…

この状況なら歳上の私からお付き合いを申し込むのが「普通」なのでしょう。しかしこの「普通」の状況に直面した今、私の「普通」では無い部分、人を疑い恐れ続け生きる中で出来上がってしまった根幹にあるモヤモヤとした思想が浮き彫りになり、どうしたら良いのか(自分がどうしたいのか)全く分からないのです。そんな自分が本当に嫌だし、何よりそんな状況に勝手に巻き込んでしまっている後輩に申し訳なくて仕方が無いのです。自分がそういう精神状況に居ることは、SNS等でも会話の中でも言っていないにしろ恐らくどこか伝わってしまっている気がするので。

家族という最初に「愛」というものを形成する集団の中で上手く行かず、故に「愛」が何であるかが分からず、そのまま人との親密な関係を避け続けた自分が、そんな自分と闘うというエゴな理由を含めて相手にお付き合いを申し込むのは如何なものか。ここまでお膳立てを自分でしておいてお付き合いを申し込まないのは如何なものなのか。相手は自分に何を思うのか。そもそも自分はお付き合いをしたいのかどうなのか。

そういう葛藤の中で勝手に悩んでおり、結果がどうなるにしろ自分の中で大切な瞬間になる事は変わりがないと思ったので、日記に残しておこうと思った次第でした。

沢山鯖を食べて頭を働かせ、当日までに結論を出そうと思います。当日を後輩が用意してくれれば…

 

Cody・Lee(李) / 桜町

5/17

お久しぶりです。日記を書いている友人に触発され久しぶりに日記を書きたくなりました。

 

先日大学院の内部入試があり、本日不合格のお達しが来ました。倍率4倍とかなり高かった様ですが、私なりにこの数ヶ月勉強を頑張っていたので本当に悔しいです。第1志望では無いとはいえ、合格を1つでも持っていた方が気持ち的には楽なので…何より、私が日記の中で度々書いている嫌いな友人が合格していて、その子が先程からずっとマウントを取るようなLINEをしてくるのが非常にしんどいです。親に大事に大事に育てられ、全ての物を買い与えられ、故に自己中心的でナルシストで、何か外からの刺激に対して負の感情をあまり抱くこと無く、素直に努力ができる人間。私の丁度正反対にある人間。それに負けたのが本当に悔しいのです。私が「嫉み」の側、劣等の側、社会不適合の側に立ってしまった感覚があります。

勿論私の勉強不足が原因で、友人が頑張っただけなのです。メタを張っていたので今までと異なる系統の英語問題に全く太刀打ち出来なかった。切り替えてもっと勉強しなくてはならないのですが、今日くらいは落ち込んでおこうと思います。今日の悔しさを忘れたくないので…

 

日記を書かなくなったこの5ヶ月(5ヶ月!?)を思い返すと、色々な事があったとは思うのですがあまり思い出せません。1月から週5で8時間バイトをしたり、サイゼリアに通い詰めて勉強したり、ペットを飼い始めたり、3ヶ月前に寝坊ブッチしてしまった心療内科に勇気を出して行ったら先生にめちゃめちゃ詰められて物凄く落ち込んだり、エヴァの新作を観て感動したり…色々あったとは思うのですが、その全てが過去に過ぎた日常になっていて、更にはその結果が「不合格」として終わったので今の心境では全て空虚なものになってしまっています。こういう時に「日記を書いておけば良かったなぁ」と思うのですが。

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ちなみにこれがペットの幸(さち)さんです。動物が大好きですが動物の毛にアレルギーがあるので、爬虫類をずっと飼うのが夢で、色々縁が重なったので思い切って迎え入れることにしました。レオパードゲッコー、和名ではヒョウモントカゲモドキというヤモリの種類で、その中でもベルアルビノという品種です。名前は娘に名前付ける位悩んで、私の姓と縁起の良い画数で付けました。
もう、何と言うか「愛」ですね……ずっと「学生の身分で…」「ペットは人間のエゴでは…」等々と色々逡巡していたのですが、いざ迎え入れるとそんな事を考えるのは馬鹿らしく、唯々愛おしくて生きていてくれる事に感謝の念が募り、(自分の為に頑張るの超苦手ですが)この子の為なら仕事も勉強も早寝早起きも全く苦ではなくなってしまいます。自分のエゴで他人(他爬虫)を幸せにしたいという非合理的な願い…21年生きて未だに理解が出来なかった「愛」がここに…
日々が感動の連続で本当に楽しいと同時に責任感や不安感も伴い大変ですが、それでも毎日が一変してとても幸福です…幸さんは10年ほど生きるので、ここからゆっくり生活を共にしていこうと思います。

 

この3週間はお休みを頂いていますがバイトは在宅勤務で臨床心理の研究業をしていました。聞こえはいいですがお偉い先生方の「やらなきゃいけないけど自分でやるのは面倒臭い」という統計、逐語などを請け負う雑用係です。研究所に学生は私しか居ないのでそういうのがどんどん私に割り振られます。「大学生の春休みなんて暇でしょ?」という問いに私の得意な八方美人ヅラでヘラヘラとしていたらいつの間にか週5で8時間働くことになってしまいました。それでも作業が終わらなくて、「課題が全く終わっていない夏休み最終日」が毎日来るような状態でとても大変でした。社会に出ている人達は本当に凄いんだなと改めて尊敬しました。数年前から働いて自分でお金を稼いで自立して居る私と同い年の人などを見ると、立派な大人として社会に出ている姿が格好良く、頭が上がらないのです。久しぶりにTwitterを見た時に密かに応援している同い歳のフォロワーさんが婚約者の方と同棲をしていて、上手く言えないのですが本当に感動しました。私は社会で自己決定を行える年齢で、世間的には「大人」の分類で、同じ年齢の人達でそれらを行使してしっかりと自分の人生を見つけている人達が居るんだなと…他の大学生達を見ていると私はあまり親に頼らない(頼れないだけですが)で自立出来ている方だな〜と思っていたのですが、まだまだ甘々のガキだなと痛感してこれから頑張ろうと思いました。明日からまたバイトの日々です…

 

院試が一段落してしまったので、明日から普通の日常(バイトなどがある日常?)に戻らなくてはなのですが、到底普通に生活出来る気がしません。少し位自分を労って遊んだりしたいなとは思うのですが、緊急事態宣言下なのでどこまでが社会的に許される生活で、どこからが社会的に許されないのかが分からないのです。勿論そんなものは個人の尺度にはなるのでしょうが、私は人の目ばかり見て生きてきたのでどうしても気になってしまいます。焼肉、猫カフェ、猫島、カラオケ、温泉、やりたい事は山ほどあるのですが…特にも後輩と高い焼肉を食べる約束をしていて、ずっとそれを楽しみにしているのですが、なんと1年以上も延期してしまい困っています。後輩の上京に合わせて約束したのにコロナで1年延び、ようやく会えるという約束の前日に後輩の身内でコロナ陽性が出てPCRを受けるということで中止になり、緊急事態宣言が来たので解除されるまでは我慢しようという話になり、それなら受験が終わったご褒美に付き合ってくれ、という話になったのに宣言が延長され…ここまで焦らされると意地でも食べたいという気持ちがあるのですが、緊急事態宣言下の行動基準は割とセンシティブな問題だと勝手に思っているので試験が終わった今も中々聞けません。早く普通の生活に戻りたいですね。

他にも書きたいことは沢山ありますが、また別の日に書こうと思います。少しモチベがあるのでそれが続く限りは日記を書きたいなと思ってはいます…5ヶ月も放置していたこの日記を読んで下さってありがとうございました。

 

常磐ゆう / むげんの夏