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何となくはてなブログを開いたら最終更新日が99日前だった。100日もの日々を過ごしていた事に純粋に驚いてしまう。色んな事があったような気もするし何も無かった気もする。最終更新日のブログを見て、ああそういえばこの時期の私は死のうとしてたなぁと思った。そういう事ですら100日も経てば忘れてしまうものなのか…日々の些細な感情から目を背けてしまうのは情けなくもあり、勿体なくもあり、何より寂しさを感じた。何れ黒歴史になろうと、まあ思ってる事ら書いておいて損するものでもないかなぁと思い立ったので、再び日記を書き始めようと思う。

 

日記を書かなくなったのは体調不良とかではなく実は物理的な事情で、10/2が私の独自ドメイン「ichika.work」の契約最終日だったからである。1年前の私はおやすみプンプンの考察で注目を頂いたことで只でさえ甘っちょろい頭脳がお花畑になっており、漫画の紹介や考察のサイトを運営してお小遣いを得ようと考えていて、独自ドメインでなくてはGoogleAdSenseを始めアフェリエイトが運用しにくかった為に意気揚々とドメイン契約をしていた。完全にADHDの衝動性が出てしまっている。そんな私が定期的な更新が前提のアフェリエイトサイト運営等を出来る訳もなく…

今更こんな青臭い子供の愚痴の掃き溜めの様なブログで稼ぐ気も起きなかったので今回独自ドメインの契約更新は行わなかった。かといって独自ドメインからはてなブログドメインにする設定等も大してする気が起きず、つまり日記が書けず、只々存在しないichika.workをネット上に放置し続けていたというのが今回の顛末である。

このサイトで得た収入は今までで1000円程だった。私のサイトからおやすみプンプンと零落を買ってくれた人がポツポツと居た。ドメイン取得の方がお金が掛かったので赤字だが、私的には自分のブログから本を買ってくれた方が居たことを知れただけで充分に満足。赤字分は勉強料という事で手を打とうと思う。

 

10月からの事を思い出せる分だけ書く。日記最終更新日辺りの私は全く眠る事が出来なくなっており、数日に一度気絶の様に眠りにつく事が出来ても父親に殺される夢を見るといった四面楚歌の状態で心身をやられかなり思い詰めていた(と思う)。

何とか立ち上がれた日に流石に薬を貰おうという事で心療内科に通い始め、色々検査を受けて、ADHD複雑性PTSDPHSの称号をお医者さんに貰った(PHSは正式に医学で使われてるものでは無いが)。アルファベットが一杯で笑ってしまった。

ADHDは自分の中で分かっていたものの、いざ診断されコンサータ処方用の「ADHD証明書」的なものを渡されると非常に複雑な気分になった。腑に落ちて安心する様な、健常者ではないという烙印を押され落胆するような、複雑としか表現出来ないあの感情は今でも覚えている。コンサータは成分が覚醒剤と同じ物なので、ADHDと偽りコンサータを入手して悪用する人がいるので云々といった医師の説明を聞いて「自分は覚醒剤に手を出さなければならない人間なんだ」と… 因みにコンサータは本当に効く。今まで見ていた世界が変わる。それもまた複雑な心境な訳だが…

それよりも驚いたのは私がPTSDだった事である。ずっと臨床心理を勉強してきたのにその可能性には全く気付いていなかった。大きな事件・事故とか性的虐待とか、瞬間的なエピソードにしかPTSDは結び付かないものだと考えていたが、慢性的な心的負荷エピソードが心身に影響する事を複雑性PTSDと呼ぶらしい。最初は半信半疑だったが調べれば調べる程私の症状と経験に合致しており、何故か晴れ晴れとした気分になった。今までモヤモヤとして正体の分からなかった私の中にある毒物が明瞭になったからだと思う。やはり最後に頼るべきは医学なのだ…

それからの日々はあまり覚えていない。夕方に眠気の出る薬と鬱々とした気分を晴らす薬を飲んで、寝る前に眠気を強める薬を飲んで、朝に無理矢理起きて頭の覚める薬と鬱々とした気分を晴らす薬を飲んで、何とか授業をこなして、夕方にまた眠気の出る薬を飲む日々を続けていたと思う。父から連絡が来たり母から連絡が来たり、本を読んだりアニメを観たりと色々あった筈なのだが、今となると機微な感情は何も思い出せない。やはり少し寂しい。

 

11月も10月と同じ様な感じだった。特に思い出せる事がない。唯一あるとすれば病院をサボってしまった罪悪感だけである。

先程「頼れるのは医療」等と宣っていたのだが、実の所現在の私は病院に通院していない。10月以来2週間に一度の通院をしていたのだが、11月末に私は通院の日を2日間違えてしまい行きそびれ、病院に謝罪の電話をしてまた予約を取らねばと思ったのだが、明日、また明日とその電話を延ばしているうちに病院に電話をするのが怖くなってしまって、結局まだ電話を掛けていない。こうして文字にすると何とも社会不適合者で情けない。薬のストックも底を突くので本当にそろそろ何とかしなくては。

 

薬のストック、という話をしながら12月の事も書く。12月は割と健全な生活を送れていたと思う。10.11月に薬を飲んで無理矢理生活リズムを整えていたこともあるが、何よりバイトを再開したことが大きい。12月から研究所でのバイトを再開し、週3回朝の9時に家を出て18時に帰宅する生活を始めた。ほぼほぼフルタイムでの労働であり、約半年もの間社会生活から外れていた私にとって尋常ならざる辛さではあったものの、その辛さは薬を使わずとも私を睡眠へと誘ってくれるのであった。労働をすると社会的に必要とされているという安心感が生まれるのか、不思議と精神的にもかなり健康に過ごす事が出来るようになった。どうしても眠れない日には睡眠薬、バイトの日だけコンサータといった様に薬のストックを使い、人並の生活を過ごしてきた訳である。(態々説明する必要も無いと思うが、私が10月から1日3回総計6錠の薬を飲む事を忘れない様な小まめな人間である訳がなく、その積もった飲み忘れの薬を「ストック」という横文字に置き換える事で心の負担を軽減している。)

そんな事もあってか12月は楽しかった事などを割と思い出せる。妹と2人で高い焼肉を食べ親の悪口を話したし、週2で友達と一緒に美少女系ゲームをしていたし、オンラインでライブを色々見たし、年末はオンライン飲み会で過ごした。

妹は私ともう6年以上も一緒に生活しておらず、その間ほとんど連絡も取っていなかったのに私と思想が全く同じで笑ってしまった。親への不満、田舎育ちの辛さ、歪んだ友情観と恋愛観、八方美人と自己嫌悪等々、かなり深い話までした。私は私が思っている以上に妹は私のように歪んだ人間である事に驚き、妹もまた妹が思っている以上に私が歪んだ人間である事に驚いていた。お互い安心しただろうし残念であっただろう。せめてお前だけは健常でいて欲しかったと…やはり生育環境というのは凄い。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ…

余談だが妹の家は恐ろしい程の心霊物件らしい。妹が大学の友人を数人家に招いたところ、霊感の強い1人が卒倒したそうだ。その日から勝手にテレビが点くなどのポルターガイストが起こる様になり、その霊感の強い友人の親が出てきて家を除霊するまでの騒ぎになったんだとか(その家系は代々霊感が強く、その手の問題に副業で着手しているらしい)。

私がお金は出すから引越ししなと妹に提案したのだが、その霊感の強い家系の人達曰く「気付いていないだけで世の中のほとんどの場所に霊は居るので引越しする意味はあまりなく、除霊作業をした妹の家は寧ろ安全」との事で、妹も除霊以来ポルターガイストの様な現象も起きず何故か寝付きが異様に良くなったので住み続けるのだそう。

私は一応研究者の端くれの様なものであり、故に科学的根拠の無いものはあまり信じていなかったのだが、同じ感性の妹が実体験をし「あれは本当だった」というのでやはり世の中に幽霊は居るのだろう。霊感が無くて本当に良かった。他人事だからではあるが、塩を振って掃除機で霊を吸い込むなど除霊の過程の話がかなり面白かったので別の機会で書こうと思う。

友人と美少女ゲームをした話も書こう。9月頃に突然TwitterのDMが来た高校時代の同級生とは1月10日現在未だに毎日DMをする仲になっている。お互いLINE等は全く使わないコミュ障なのでこんなにも仲良くなり毎日話せるとは思わなかった。オタクは無限に話す事があるので良い。

その友達が「私はギャルゲーをしたいのだが女1人でやるのは恥ずかしい」と言うので12月から週1.2回Zoomの画面共有を使って2人でキミキスというps2美少女ゲームをした。2人いれば何とかクリア出来るだろうと意気込んでいたが、お互い恋愛経験がゼロだったので初見プレイは誰一人攻略する事が出来ず、主人公は全ての日曜日をネットサーフィンで過ごすというまるで私(達)の様な生活をしてしまいかなり落ち込んだ。年を跨いで先週ようやくメインヒロインの星乃さんを攻略したが、結局女心は難しいんだねという所で落ち着いてしまった。

今考えると同じクラスだったのに大して話さなかった人と2人で美少女ゲームしていたの本当に良く分からない。楽しかったので良しとする。友達が増えて嬉しいということを書きたかった。

オンラインライブに関しては細かく説明するのは野暮だと思ったので書いたが消した。眉村ちあきさんの武道館ライブと銀杏BOYZスマホライブを観た。どちらも最高で涙してしまった。早く今までの日常が戻ってきて欲しい。

年末、本当は高校時代の寮生達で旅行に行く予定だったのだが、私達は良識のある人間だったので旅行をキャンセルしてオンラインで話しながら年越しをした。ずっと一緒に居るので友人というよりかは家族の様な存在である。まあ今その内の1人が突然恋人を作り毎日惚気けているので「ユダ」が紛れ込んでいる危険な状況だと皆口を揃えて言っているのだが…実際はそんな事は冗談で、仲間の幸福を本当に喜んで不幸は笑い飛ばして、といった感じで時間が流れていて、年越しをこの人達と迎えられて良かったなと心から思った。私の親の離婚等も笑い話にしてくれているし本当に救われている。皆少しずつ大人になっていくのだろうが本質は変わらないだろうし、いつまでもこのまま仲良くありたい。一生持っていたいと思えるコミュニティを持てている事は何とも幸せな事だなと思った。あとオンライン飲み会しながら観た年越しの時のミリシタライブがとても良かった。12月以上。

 

年が明けてから大した事はしていない。正月に雑煮を大量に作って4日かけて食べて、バイトをして、緊急事態宣言が出た事でバイトが一時中断になって、活動エネルギーが余ったので日記を書いてみようと思って、今に至る。

明日は授業もバイトも無いが、特にやりたい事も無く、カフェ等で時間を潰す方が有意義な一日にできるのだろうが外出する事すら推奨されていない。緊急事態宣言が再び出て、改めてとても生きにくい世の中になってしまったと思う。この1年で何度も何度も繰り返し使われているフレーズだろうが、去年まで当たり前だったことがとても貴重で愛おしいものだったのだと思わされる。またコロナ禍前の生活を出来る様になった頃にはこの感覚も鈍化しているのだろうか…

私が医療現場でアルバイトしており、医療従事者の死んだ目を身近で見ているからということもあるだろうが、今は中々明るい未来が見えなくて辛さがある。健康的な生活リズムを保っているといえど、やはりこの世の中に対する無力感の様なものは拭い切れない。困ったものだ…

まあ私が5000字をインターネット上に上げたところで何かが変わる訳がなく、一先ず今の自分に出来ることをするしかない事は一応頭では分かっているので、これから少し勉強でもしようと思う。

100日前の自分を日記で思い出した様に、数年後の自分が「そういえばこの頃はこんなに大変で、こういう生活を望んでいたんだなぁ」と笑いながら言っている事を切に願います…

 

二ーゼロ二ーゼロ / 眉村ちあき feat. Creepy Nuts