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昨日で21歳になった。誕生日は喜ばしいものだと漠然と刷り込まれていたが、実際は何でもないただの一日でしかないことに気づいてしまい少し寂しかった。19歳から20歳になった時は煙草を吸ってみたりお酒を飲んでみたりしてそれなりに嬉しさがあったけど、20歳を超えてからの誕生日は「老い」という感じがする。やった〜歳を取った!という感覚は全くなく、むしろ若気の至りで許される立場でなくなってきている感じがして嫌だ。19歳がついこの前のように感じるのに、19歳と21歳という言葉の響きが違い過ぎる…高校生とかからしたら21歳なんて完全な大人よ…精神面は全く高校生から成長していないのに…

せめて雰囲気だけでも味わおうと酒とティラミスとお菓子を買いこんでみたが、マスカルポーネチーズが食べ切れない胃腸になってしまっていたのでティラミスは半分食べきれず冷蔵庫に戻してしまった。老い…お酒もほろ酔いだけ手を付け(冷やしパイン味がとても美味しかった。パインの味じゃなくて「冷やしパイン」の味がする。)氷結は冷蔵庫行き…ほろ酔いでかなり酔っていてダメだ。1人で酒を飲むと雑魚酔いしてしまうのは何故なのだろうか。他人と接する時は意識をピンと張っているから酔いにくいのだろうか…科学的根拠があれば知りたい。

21歳でこんな老いを感じていたらアラサーになったあたりで死んでいるのではなかろうか。今の生活を続けてたら何歳で死ぬかという寿命メーカーなるサイトで調べた時は51歳だったのでまだ生きれるだろうか。生活改善をするかポジティブに捉えて太く生きるかしよう…

誕生日が子供の頃ほど喜ばしいものではなくなって残念だと書いたが、おめでとうのメッセージを貰えるのはやはり嬉しい。LINEで送ってくれるおめでとうは世の中の大学生がインスタのメンションでやるおめでと〜みたいなリア充アピじゃなくて、本当に祝ってくれてる感じがする。自分にとってSNSでメッセージを送ることはかなりの労力で、自分の周りにいる人もそういう人たちばかりなのだが、その中で敢えてメッセージ送ってくれることが嬉しいしありがたいよ…誕生日なんて気にしませんよ的な逆張りサブカル思想があったとしても、本当に誰からも誕生日を祝って貰えなくなったら寂しくて死んでしまうと思うので…そんな感じの寂しい人間なので誕生日を祝ってくれた後輩にご飯に誘われ、健気で好きになりかけてしまった。自分は諸事情でずっと後輩に好意を向けるのは良くないという精神的な制約を抱えているのだが、いつまでが時効なのだろうか…結局決めるのは自分なのだが有識者は助けて欲しい…

 

昼頃起きたらまた悲しいニュースがあって心が落ち込み、天気も気圧も良くなかったので結局何も出来なかった。城田さんの生放送をの歌唱を観て、他人が亡くなってこんなに悲しいのだから大好きな人達が亡くなったらそれはそれは苦しいんだろうなと想像して泣いてしまった。私の周りには思い詰めてしまいそうな人がそれなりにいて、容易に想像出来てしまう…本当に死なないで欲しい………死ぬ前に助けてあげられないことが心の底から嫌だし、そういう人達に相談してもらえるためにも臨床心理の勉強を頑張ろうと思った。

今更ながら、今自分の目標にしていることは自分の本当にやりたいことなんだなぁと気づいて少し頑張る気持ちが湧いた。心理職を目指さずに今日みたいなニュースを見ていた、、無力感に絶望していた気がする。少しでも人の苦しさに寄り添える何者かになれればいいなと21歳ながらに思った。