1/10

今まで、「思った事をその場でメモ」→「空いてる時間を使って1日かけてゆっくり日記を書く」→「夜に投稿」というルーティーンで日記を書いており、その結果1/10の夜に1/9の日記を投稿、という一日前の世界軸を生きているようなスタンスで日記を更新していたが、自分の中で違和感が生まれてしまったので日記はなるべくその日の夜に書こうと思う。

 

色んな人が見てくれるようになってから、上手く日記を書けないことに苛立ちなどを覚えるようになってしまったけれど、それは全く意味の無いことだと思った。別に誰かからお金を貰ってる訳でもないし、何かを宣伝したい訳でもないし、ただ、自己満足で日記を書いてるだけだし……本質をたまに見失ってしまう。書きたい時に書いて更新したい時にしよ〜って思いました。

最近はかなり肉体的にも精神的にも生活的にも安定して、とてもハッピーな生活をしているので思考回路なども割とハッピー。何となく時分でそれが分かる。とても良い。常にハッピーでいたいな。ハッピーでもブルーでも、本質はどこまでも変わらず私であることは20年間生き続けて完全に認識したつもりだ。ならばせめてハッピーでいた方がいいじゃないか……そんなことを思った。

躁、と言われればそうなのだろうか?人間だれしもイキイキとしている時と落ち込んでいるときで別人格のようになってしまうものだと思っているのだけれど。自分が悲しい時に考えていた時の思想や思い出を「鬱」という漢字一文字で表されて、自分がハッピーな時の思想や思い出を「躁」という漢字一文字で表されるのがとてもとても嫌だ(日記を書きながら思ったが、1文字で表すのが難しいから「鬱」「躁」は画数も多くなっているのだろうか…?)。

何にせよどんなときも自分は自分で、この日記を書いているのは自分自身なのだ、と思った。自分が自分と対話するための日記だし、嘘は書いてないし。一日一日に意味を見出して記録していこう。

 

今日とても気分がいいのは、今日のテストの出来がとても良かったからだと思う。満点だったのでとてもニコニコしてしまった。ちゃんと勉強しているので点数は取れなきゃいけないのですが…高校の数学のテストとかはどんなに勉強しても「解けない!!」となってしまったのだが、それに比べて大学の講義はせいぜい4ヶ月週1回やり続けただけの授業だし、自分の好きな分野の勉強だし、ずっと楽。勉強のことずっと嫌いだと思っていたけれど、それは点数が取れていなかったし理解が追いついていなかっただけでしかなかったらしく、理解出来て点数も取れるとやはりそれなりに楽しい。勉強好きになろう……頑張っていい大学院に行きたいな。

 

自分へのご褒美に、外食をしてからコンビニスイーツを買って食べた。最近食欲が回復してきて、ジャンキーなものを食べても体の調子を崩さなくなってきた。命を削っている背徳感にはたまらないものがある。エナジードリンクみたいな体に悪そうな色のものを深夜に飲む時とかは、明らかに食欲的な欲求によって出るものでは無い快楽物質のようなものが出る気がする。外食の後のコンビニスイーツはその類の頂点にいる。しょっぱいものの後に甘いものを食べるって、人知によって踏み込んでしまった侵してはならない聖域のような、七つの大罪のような行為の様な気がしている。

 

明日からはまた、そうめんとかそばとかを茹でて細々と食べよう…今日くらいいいよね、という日は思い切り羽を伸ばそう。ささやかな幸せを感じれる人でありたい。

 

sora tob sakana / ささやかな祝日