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薬を飲んで眠ってしまいたいが、薬を飲んで寝たら寝坊して一限の小テストに出れないかも知れない、と思い自然睡眠を図るも失敗、という日を2日連続で繰り返したら、精神的不安定がキョダイマックス進化してしまった。

 

ベッドに入って目を瞑っていても考えることが止まらなくて、負の思考ばかりしてしまって、動悸がして、自然な息が出来なくなってしまった。そうなると気が狂ってしまいそうになる…

 

動悸がすると、自分はそろそろ死んでしまうのではないかという気持ちになる。タッキーが亡くなったニュースをTwitterで知って、命が突然消滅することの恐ろしさに震えた。自分の認識しているタッキーとは違うタッキーであったが、それでもタッキーが若くして亡くなったのだ。自分だっていつ事故に遭うかも、脳の血管が切れるかも、心臓が麻痺するかも分からないじゃないですか…

いっその事こと死んでしまいたいという気持ちと死にたくないという気持ちがいったりきたりして、その矛盾にとても疲れた。

 

もう朝の4時くらいからは寝ることを諦めて始発までおやすみプンプンを読み直した。

この漫画、何回読んだのだろうか。人間や人生が恐ろしくなった時、いつもこの漫画にすがっていた気がする。

初めて読んだのが高一の時で、その時初めて「私は間違っていないのだ」という感覚を得た。それまでは世の中は綺麗事で通っていて、そんな世界に馴染めない自分は異常だと思っていたのだが、おやすみプンプンはしっかり自分の見ている世界を描いている気がした。世界がこういう風に見えている人もちゃんといるのだと思えたというか、情報統制された世界で唯一外界のことが書かれていた作品だったというか…

 

アリストテレスの同調効果では、自分と同じ気持ちの作品に触れる事で救われるという。自分にとってそれがおやすみプンプンだったのだろう。

 

始発に乗って大学に行こうと思ったが結局プンプンを全巻読んでしまい、満員電車の時間帯になっので外に散歩に出た。眠れなかった朝の気怠さと、冬の空気が相まうと死にそうだった中3、高3の日々を思い出してしまう。

あの頃よりよっぽど今は自由で素敵で、あの時死ななくて良かったと何度も思った瞬間があったことに気づいた。やはり今死にたいなんて言うのは自分の人生にとても失礼だ…

やはり生物の希死観念なんて突発的なものなのかもしれない。その時、その瞬間に踏みとどまれるか、否かで全てがきっと決まるのだ。

気づかない所で世界中の人達がその瞬間と何度も戦って、勝ったり負けたりという綱渡りをしている…

そんな人達を救いたいなんて大それたことは言えないけど、いつか誰かにとっての「踏みとどまる理由」になれたらいいなぁと思う。

 

 

挫・人間 / 天使と人工衛星