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「もう家族4人で集まる事はほとんど無いだろうから」と父が言い出し、家族で食事に出かけることになった。妹が大学進学で上京するから という理由だと思うが、突然そう言われると離婚の事や父の病状のことを考えてしまう。

思い返せば家族で出かけることなんて、私が家にいた頃からあまりなかった気がする。自営業で父母は土日も仕事だし、私も妹も部活があったし。それは仲の善し悪し以前の仕方の無い部分ではあるのだが、そういう少しの綻びが重なって重なって、今の私達が存在する。紛れもない事実として私達が存在する以上、それを認めなくてはならないのだ。各々がそれを認める為の、最後の食事会なのだと悟った。

 

高めの焼肉屋に行った。「好きな物を頼みなさい」と父に言われて、気づけば私と妹はアイコンタクトをしながら “遠慮していませんよ” という絶妙のラインで高すぎない物を程よく注文した。メロンソーダを注文する妹が、無邪気に、自由に、陽気に、子供らしく、しているフリをしているのが何となく分かって、少し虚しかった。これが私たち家族の今までで築いた形で、今日がその最後かもしれないと思うと少し涙が出た。焼肉は今まで私が食べてきたどんな肉よりも美味しかったけれど、純粋な幸福を感じられた気はしなかった。

 

駅で降ろしてもらって、東京行きの夜行バスを待った。高校の時から、たまに会って別れる時の父はいつも「体調に気をつけて」しか言わない。父の言える精一杯はこの8文字なのだろう。今日のこの8文字はいつものそれより私の心にズッシリとのしかかった。

この年末で私の中の「家族」という呪いを解く、という決意はどこまで果たされただろうか。もう少し精一杯「家族」と向き合えたのではないだろうか、なんて考えがモヤモヤと頭の中を浮遊して尽きない。子供の居なくなった私の家はどんな形で維持されていくのか、父と母は死ぬときに何を思うのだろうか、幸せだったと言えるのだろうか、どうしたら言わせてあげられるのだろうか、と考える。高校の時はどう父親を殺すかしか考えていなかったし、そう思えるようになっただけ大人になったということなのだろうか。

 

私の中の家族の呪いは解けそうにない。ゆっくり、人生をかけて向き合うしかないなぁ。

 

崎山蒼志 / ソフト