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学内で一番良い給付奨学金の合格通知が届いた。9000人の規模の大学の8人に選ばれたって本当に凄くないですか?調子に乗ってしまいます…まあ小論文と面接で自分が落ちる訳ないのですが…落ちたことないので。GPAも3.5あるし。給付奨学金や授業料特待免除を組み合わせたらここ2年で450万円程獲得してる。やっぱ自分って天才…!

と、みて分かる通りこれが躁という状態です。この患者は自分最強!天才!何でもできる!と思っている期間があるのに、「自分なんてカスだ。生きる価値がない。死んでしまいたい。外に出られない。何をするのも億劫だ」と思っている期間が見受けられます。これが気分障害の顕著な例です。日記を書くか書かないかの頻度がだいたい1ヶ月周期で、これが自分の気分の周期だと思うと、自分の苦悩や思想が病気であるような気がして悲しい。この思想や苦悩こそ自分の人生の全てなのに…

調子がいい時は躁になるし悪い時は鬱になる。自分の幸せな期間に「躁」って病名がつくの本当に嫌だな。幸せなものを幸せと感じていたい…

でも自分は、中学生の頃から、鬱になって、少し回復したら躁になって、その結果失敗をしたりしてまた鬱になって。少し回復したら今までの一連を冷静に考えて整理する。そしてまたいい事が起こって躁になって、失敗して鬱になって、落ち着いたら俯瞰的に整理する。これをずっと繰り返してきていて、「考え方とかが1〇歳とは思えない」ってよく言って貰えるのは、このサイクルお陰で人よりも精神的な成長が早くなったからだと思っている。

精神的な成長をしている人間は精神障害を持ったりしませんか…そうですか…

自分は日記に書いてようが書いてなかろうがもうひとつの強い自己と常にこんな感じに会話をしている。本当に気持ち悪い。

日記で、誰かと会話しているような言い方であったり、誰かに投げかけるような言い方をしてる時は、自己に話しかけてるんです。気持ち悪過ぎる。人間ってみんなそうだと思ってたんだけど、どうやらそうでもないみたいだってことに最近気づいて、自分が不安になる。

 

自分は、とにかく自分が何かになれる人間だと思っている。中学の時はみんなが将来は消防士かな〜とか言ってる中で本気で自分は総理大臣とか社長になるものだと思ってたし、今もただのサラリーマンとかになんて絶対なりたくないと思ってる。普通に就活して、大学を出て、内定の決まったところでしたくもない仕事をして、恋して愛してセックスして結婚して子供を産んで、そんな些細な日常の幸せを…なんて全く思えない。おまえら正気か?そんなつまらん人生でいいのか?って思ってしまう。と言いつつ、自分の人生の最終ゴールは幸せな家庭なのですが。些細な日常の幸せを得ることの方が社長になるよりずっと難しくないですか…?愛は哲学的なものだし自己だけで成り立つものでは無いので…こんな気持ち悪い思想を持ってる自分と一生を共にしてくれる人なんて一生現れないのでは…その人を探すために生きているのでは……

結局言ってること西野カナとなんも変わんねぇな!もしや西野カナやbacknumber、マイヘアの唄う愛って何十周も苦悩に飲まれた末の、銀杏BOYZサンボマスター忘れらんねえよの唄う愛なのでは………?これからマイヘアのアンチ辞めようと思います。「マイヘア?超好き」って片っ端から大学の軽音サークルの「マジで音楽好き〜ヤバティー」系の人達に言いまくって恋人になって貰おう。卑屈で自分とと似たような感性だと思っていた同級生は、軽音サークルで会った人と2.3週間で付き合って、SEXをして、浮気をされて、仲直りSEXをして、それをいちいちツイートして、なかなか人生楽しそうだ。自分も楽しい人生がいいな。

 

自分の名前をWikipediaに載せてやるみたいな気持ちは厨二病とはもう一線を画すものになってて、これって病気なのか?と思って色々しらべたのですが…自己愛性パーソナリティ障害かもしれないと思ってビビっている。

自分は自分を特別だと思っていて。でも本当はそんなことが無いかもしれなくて。理想の自分が本当に高くて、それと現実との差異が自己嫌悪につながっている。

自分の人生にはルサンチマンという呪いがあります。

自分の苦しくて不幸な過去を全て人生の肯定の糧にしないと気が済まないし、自分を不幸にした人間よりも必ず幸せになってやるという気持ち。本当はもっと汚くて、地元で高級車を乗り回し昂首闊歩し、道路で汗水を流しながら旗を振って交通整理してるかつて自分にストレスを与え続けてきた同級生に、高級車の窓から顔を出して「久しぶり!今って仕事とか何してんの?」って声を掛けてやる、みたいな、親の年収の5倍稼いで、親の築いた家庭の500倍幸せな家庭を持って、老後に介護が必要になった時に苦笑いしてポンと金を払ってやる、みたいな。本当にクソみたいな気持ちでここまで勉強もバイトも頑張ってきた。そんな自分が最高に嫌いだ。人は人、自分は自分なのに…怨みは何も良いものを生まないのに。

その気持ちや努力を報ってあげれるのって結局自分でしかなくて。だから今回の奨学金は本当に嬉しかった。地獄のように悩んで考え続けた過去が産んだ今の自己が、なにか肯定されたようで。ありのままの自分なのかは分からないし、きっとありのままの自分を愛せる人間ってもっともっと生きやすいんだと思いますが…

色んな機関や偉い方々が、数ある人の中で、自分の思想や能力を選んで沢山お金を出してくれている。じゃあ頑張れるだけ頑張りたいな〜大学生ってこんなにも時間があるし、無駄にしたくないですね…高田馬場の駅前のロータリーでぶっ倒れている早稲田の指定校推薦達よりもいい大学生活をしたい。先生にゴーストライターを頼んで慶応のAO推薦を受けた自分より勉強してなかった高校の同級生よりも幸せになりたい。(ちなみにそれを笑いながら話す本人を見て気が狂い息が出来なくなって気絶した高3僕は自律神経失調症を診断されました)。幸せなんて比べられるものじゃないし、その人はその人で辛そうな生活してたけどさ…

自分は自分を特別じゃないって思って諦めるいわゆる「大人」になんてなりたくないなぁ。ずっと自己愛性パーソナリティ障害を持って、そのまま何も諦めずに生きていきたいね。

数年後この日記を見て、この頃は若かったなぁなんて思わせないからな………

 

 

銀杏BOYZ/17歳(cutie girl don't love me and punk)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この日記はノンフィクションの私の人生を元にしたフィクションでしかなく、「雲野いちか」は最も私らしい弱い私自身であり、架空の人物です。いつか、自分自身が「雲野いちか」に頼らなくても生きていけると思えたのなら、自殺という形で姿を消そうと思います。私の好きな二十歳の原点や八本脚の蝶、卒業式まで死にませんなどの様に、「雲を掴むような」も私の言う「自殺文学」として昇華したいので…そんなつもりで、終わりを見据えて書き続けてきたけれど、色んな人がこの日記を見てくれるようになって、きっと私が自殺したとなると悲しんでしまう人が出てきてしまうように思った。なんともありがたい話。だから、雲野いちかが死んでも私はどこかで新しい自分として生きていると言うことをどこかで伝えたく、生意気にもここで予め明言しておこうと思いました。私が死んだ時、日記を読み返して、この文を見つけてくれたら幸いです。

雲野いちか